とちぎを歩く   吾妻古墳、車塚古墳

1月17日。
壬生町で発掘調査がおこなわれているふたつの古墳で、現地説明会があった。
姿川と思川にはさまれたこの地域には、6~7世紀かけてこの一帯を支配した首長の古墳が数多くあって、ここもそのうちのふたつ。

まずは吾妻古墳。
説明会は、10時から数組に分かれてはじまった。




128mの墳丘は、県内最大の前方後円墳。6世紀後半につくられた。
説明を受けなければ、古墳だとは気づかないかも。



地層を見ると、1108年の浅間山噴火のときの火山灰の層も見つかった。
随分な規模の大噴火だったのだろう。


これが今回の目玉の石室。
一般に、石室に使われる石材は、加工しやすい凝灰岩が多いのだけど、この石室は、硬質岩でできている。
つまりその意味は、「ウチには最新技術がある」というメッセージだろう。
当時、関西圏でさえも岩を削る技術はなかったというのは、この地域の首長が大陸や半島との独自ルートでの交流を持っていたということか。





そしてその玄門と天井石と判明したものが、城址公園にある。
横2m、縦1m、厚みが30cmある凝灰岩。
裏側にある溝が、石室の寸法に合うことがわかった。
もともと、幕末の壬生藩主・鳥居忠宝が隠居所の庭石にと運び出し、のちの1989年ここに移されたのだという。
言ってみれば、古代の大王の墓石を盗掘し、庭で愛でていたわけ。



こちらは、その玄門。
高さ1・8mあり、中央部がくりり抜かれてある。こちらも石室の大きさにぴたりと合う。





このあと、午後からは車塚古墳の説明会がありました。
こちらがつくられたのは7世紀。この時代では、国内最大の円墳。






説明は、また次に機会に。